3回目の体験操縦

1997年のログ

この年は9月12日から、会社の社員旅行でホノルルに行った。
旅行の2日間からフライトスクールにスクールに電話するが応答が無い。
しかたがないので、とりあえずFAXを入れた。

あちらの電話の呼び出し音はおもしろい。
呼び出し音(リングバックトーンと呼びます)の時間タイミングも国内とは違う。
最初のほうは、国内電話と同じ感じなのだが、長時間応答のないまま呼び続けると
呼び出し音が変化する。応答したのかと勘違いしそうになる。
まあFAXを入れておいたから、現地に着いてから電話をいれとこう程度の軽い気持ちで出発した。

今回は福岡発着のJAL便だった。
空港でフライトスクールにと思い、菓子の土産を買った。
自分用にはセブンスターカスタムライトを1カートン買い込んだ。
今回は航空会社が日本なので、スチュワーデスさんとの会話が気を使わずに済む。

ホノルルのホテルに到着後、スクールへ電話をするが依然として応答なし。
ホテルのフロントでFAXを借りて送ると、FAXは流れる。
心配になってホノルル空港の中にあるスクールへタクシーで行ってみた、だれもいない?!。
隣の航空会社の人に聞いてみた。
その答えは、とてもわかり易い英語「He's Dead !」

何と約1週間前にスクールの社長(President)は、趣味のスカイダイビングの事故で墜落し
死亡していた。
このときに、自分の会社で飛ぶかい?と、声を掛けてくれたのがBill Anderson(Anderson Aviationの社長)だった。
言葉は判るのかと聞かれ、「少しは」と答えたものの、そのやり取りには、2回も聞きなおしをするという情けなさだった。
まあ、何とかなるだろう!?。

アメリカ人は、すぐに気軽に声をかけてくれる。それに答えようと、こちらも真剣になるので、いい語学勉強になる。
この会社には、日本語の出来るスタッフはいなかった。全て米語でのやりとりになる、電子辞書を片手に一生懸命!
東洋系の顔をしたスタッフが米語しか出来ないのを見ると、何だか不思議な気がする。
お土産を渡そうとして、「みやげ」を英語でなんと言うのか分らず、辞書を引いたが、今度はどう発音するのか分らない
電子辞書を見せながら、土産を渡そうとしたら、そばにいたスタッフが「oh omiyage !」.....
この日は、明日からのフライトスケジュールを取ってもらうだけで引き上げた。

朝8時にホテルのロビーに出た。すでに昨日乗ったタクシーの運転手が待っていてくれた。
実は昨日タクシーの中で、英語(米語)のよく出来ない運転手さんだったために、
逆に、お互いの英語がうまく通じて、変に仲良くなってしまったのだった。
運転手さんの出身が中国(チャイナと言っていた)なので妙な親近感が生まれていた。
あなたがホノルルに居る間、専属のタクシーになるから、予定の時間を教えてと言われ、
今回のスケジュールを伝えておいたら、本当に迎えにきてくれていたのだ。妙にうれしかった
ただ、今回のホテルから空港まで$25かかるから、1日で$50、2日で$100かと思うと、少しもったいない気もする。

今回の練習に先立って、今までの訓練内容を分ってもらうためにフライトログブックを見せた。
どうやら、基礎的な項目は終わっていたようだ。どんな訓練をやりたいのかと聞かれ、着陸だと答えた。
タッチアンドゴーを徹底的にやることになった。今回の機体はパイパーチェロキー140だ。

午前の練習の開始だ。東洋系の教官が付いてくれた。
一連のフライト前点検を終え、
Ford Island(真珠湾の中にある小島の空港)に向かった。
この空港で時間の許す限りのタッチアンドゴーを行った、
時間にして1時間20分。
数回、どすん!という感じでの接地をしてしまった。
9回のタッチアンドゴーをやっていた。
かなり疲れながら、ホノルル空港に帰ってきた。

午後は、教官が交代し、白人の教官が付いてくれた。毎回、教官がフライトログブックにサインをしてくれるのだが、
後になって、読み返しても、何と読むのか分からなくなる。
午後も、午前と同じ内容を行った。教官により、多少操縦の勘所がちがうようだ。
1時間10分の訓練を行い、本日の訓練を終了した。


空港の事務所に着くと、すでに例のタクシーが迎えに来てくれていた。聞くと、20分前から待っていてくれたとのこと
待機料金も取らずに待っていてくれたのはありがたかった。
なんといっても、この辺りはバスの便が少ないので、やはりタクシーが便利なのだ。
明日は、午前9時から訓練開始だ。

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