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世界遺産
アンコールワットの旅
平成16年3月15日―19日
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3月15日
男性添乗員の石橋さんを含む私たち26名は
福岡空港からカンボジアのチャーター機で五日間の
アンコールワット見学の旅にに出発した。
ほぼ5時間後の午後6時過ぎ人口6万の小都市
セムルアップ空港に到着した。
空港ではターニーと言う女性ガイドが出迎えてくれた。
私達は灯かりのない暗い夜道をホテルに急いだ。
途中ガイドが、当地の人々はテレビやロウソクの明かりで
家事をするし、またバイクは免許不要。
さらにこの国は10年を費やして百万発の地雷を処理したが、
まだ20万発が残っていると話してくれた。
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途中遠くに淡い明かりの大きな月のような気球が浮かんでいた。
車はほどなくサリナホテルに到着。夕食はバイキング、
瓶ビールは3ドル缶ビール2ドルだった。
ホテルは設備が完備し、クーラーも24度に調節され満足だが、
欲を言えば洗面台が少し高すぎた。
私は3階のツインルームに宿泊したが、エレベーターはなかった。
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3月16日
私たちは先ず南大門を見学。此処には108体の石像があり、
写真のような神々の顔の彫り物が数多く見られた。
道端に義足を脇に置いた子供が物乞いをしている、
おそらく地雷で足をやられたのだろう。
続いて車で5分のバイヨン寺院に行き次にパプーオン、
ピニアナカスと回り最後はタ・プローム寺院に到着した。
途中ある寺院で上の写真のような人間の顔の彫り物が
数多く見られたが、何処だったか今は記憶にはない。
途中ガイドが、この辺の人は首都プノンペンに行くのに、
6時間もかかるが運賃が僅か3ドルの乗合トラック(現地の人は
タクシーと呼ぶ)を利用し、
高額な飛行機には絶対乗らない。
またこの「タクシー」には30名が立詰めで乗れるが、
15名以上の客が集まらないと出発しないとも話してくれた。
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遺跡の中には処処にガジュマルの巨大な根っこが
建物に覆いかぶさりながら更に下方に伸びている、
ほかの木の根とは全く異なる。
みんな賛嘆してやまなかった。
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昼食後主な景勝地アンコールワットに行く。
此処は12世紀、国王が30年かけて造った寺院で、
長さ1.5キロ幅1.3キロ、中には三重の回廊と、有名な
五塔のほか多くの建物があり、回廊の壁面には
無数の浮き彫り、3千体の女神像は目を奪うようで、
クメール王朝文化の栄華をうかがい知ることができる。
この遺跡は約百年前にフランスの探検隊によって発見された
そうだ。当時ここは一面の密林で誰も入る必要がなかったため
だれにも気づかれなかったという。
ガイドは此処で私達に傾斜70度の石段を登ってみてはという。
私達3名の外はみな登った。
私たちは裏側に回り降りてくるのを待つことにしたが、
私は此処で初めて台湾のガイドに出会い中国語で
挨拶を交わした。
見学が終わるとひとまずホテルに引き返し、夕方を待って
丘の遺跡に夕日を見に行くことにした。
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私は皆と別れ医者夫妻と急坂を登った。
斜面は石や瓦礫で大変上りにくい。
頂上近くで横に曲がったものの下が断崖で更に危ない。
前方に若者二人が立っていた。
彼らは何も言わずに私を支えながら少し歩いてくれた。
1ドル渡すと日本に留学するので日本円でほしいと要求されたが、
日本円は千円札しか手持ちが無く渡せなかった。
見ると前方の風景は想像したほどではなく、且つ
見物客も座り場所もないほど多いため、少し残念だったが
落陽を待たず引き返す。
帰りは遠路を承知で象が客を乗せて通う道に沿って下山した。
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3月17日
私たちは5時半、日の出を見ようとアンコールワット遺跡に向かう。
ガイドの話では、当地はどの家も中に炊事場もトイレもなく、
みな戸外で用を足すし、入浴や傘を持つ習慣もないという。
また暑さ慣れしているため、気温が16度以下になると寒がって
労働を嫌がるとも話してくれた。
此処は黒色のアスファルトの道以外は全て赤茶色の砂地だ。
午前中私たちは車で1時間のバンテアイ・スレイに行く。
此処には東洋のモナリザと称される見事な女神像の
浮き彫りがある。
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午後はプレループや他の遺跡を巡ったが多くて忘れてしまった。
今は写真で思い出すしかない。
最後に見学した遺跡の隅に等身大の象の像が置かれ、
入り口付近では色黒の老人が二胡のような楽器を抱いて
ぼんやりとしていた。
ガイドが彼は82歳だと言うところから、老人はいつも此処で
楽器を奏で銭を稼いでいるのだろう。
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当地は子供がすごく多い。殆んど上着なしの裸足だが、
たまにサンダル履きのもいる。大部分は学校に行かないそうだ。
私は一人参加のため、みなの後を黙ってついて歩くだけで
常に退屈だった。
道々同行の女性が思わず私の肩に触り、あなたの気力と体力を
貰いたいね、など冗談を言いお互いに笑った。
次に以前国王が沐浴したという大きな湖に着いた。我々は湖畔を
歩きながら美しい風景を観賞した。
その後露天の劇場で夕食をとりながら民族舞踊を楽しんだ。
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3月18日
山本学校と言う建物を通過して郊外の民族文化村の見学に
出かけた。名前から山本という人が建てたに違いない。
この文化村は2002年に創られた人工の大型観光スポットで
面積は21万平方キロ、園内にはカンボジアの各種の建築物が
建てられ、原始時代の石器や蝋人形なども展示してある。
特に眼をひくのが人工の樹木、精巧な作りは本物と
見まがうばかり、いったい材料はなにだろう。
我々は園内を電気自動車でざっと見て回わり、その後
土産品専門店に立ち寄った。皆かなりの土産を買ったが、
私は何も買わなかった。
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午後私はオプショナルツアーに参加しなかったため,
部屋で一人ぼんやりしていたが、暇をもてあまし外に出た。
戸外はすごく熱い、歩いているうちに耐えられなくなった。
この時バイクに乗った青年が手で合図をする、
別に目的もないので断わり、半時間も経たずにホテルに戻ったが、
その際オプションに参加して湖見学に行ったほうが良かった
と思ったが後の祭りだ。
6時過ぎ友人達が帰ってきた。誰かが、「私達夫婦は気球に乗って
アンコールワット遺跡を眺めてきた、乗ったのは私達二人だけ
だった」と話してくれた。前もって知っていたら私はきっと彼らと
一緒に行っただろう,ほんとに残念だ。
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カンボジア最後の夜となった。
ホテルの出発は夜12時45分なので、皆部屋で休んだ。
私はその際目覚めないかもと、眠らずに訳の分からない
テレビを見て時を過ごした。
私たちは午前3時再びカンボジアのチャーター機で
日本へ飛び立った。
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