中国河南省
鄭州、嵩山、洛陽
開封旅行記
2004年10月5日―13日
私は中国河南省の旅を思い立ち、旅行社に10月5日から一週間の、北京往復の航空券を予約したが、運悪く帰りは13日のしか取れなかった。 もともと、出たとこ勝負の一人旅のつもりだったが、息子らから年寄りが海外に行くのに、どうしてホテルを予約しないのかと忠告された。 息子はインターネットで、割安のホテルを探し出したので、私は予約の電話を入れた。
10月5日 福岡から北京に飛んだ。 誰か迎えに来てくれるものと思ったが迎えの人はいなかった。相手が日時を取り違えたのかもしれない。 どうしようもなくうろうろしていると、或る人が「うちのホテルは部屋代が320元、空港からも遠くない」と言う。 私は彼の車に乗った。 このホテルは設備が値段の割に整い満足した。 私はポーターに依頼した。 「一週間ほど鄭州方面を旅行したいが、旅行社に連絡を取ってもらえないか」と 彼は承諾して 「では、先ず往復の航空券を買いに行くので、パスポートと2400元をください、3時までには必ず帰ります」と言う。 私は少し心配になったが、依頼した以上、これらを手渡すしかなかった。 三時が過ぎても、まだ彼は帰って来ないので、ロビーに見に下がった。 その折別のポーターが、パスポートを手渡しながら、「切符はちょっと待ってください」と言う。ひとまず安心。 夕方ポーターが切符を持って帰ってきた。そして「旅行費用は8千8百元かかりますが、よろしいですか?」と言う。「少し高いのでは」「あなたお一人ですからね」 私は承知するしかなく、その金を渡し、「領収書は?」「鄭州に着いたら旅行社が渡してくれます。」 私はまた心配になってきた。
10月6日 早朝、付近の朝市を見に行ったが、すごく賑わっていた。 定期便は10時に立って、12時鄭州に到着した。 空港玄関では、中都旅行社のガイドの下玉宣さんが出迎えてくれ、一緒に中都ホテルへと急いだ。 私は1277号室に宿泊。今日の昼飯は食べずじまい。
10月7日 8時に女性ガイドが迎えに来た。 今日は登封市行きだ。先ずは嵩山の少林寺の見学だ。70キロの行程だが、一時間半で到着。道々ガイドが「この付近では石炭が出る」と教えてくれた。
嵩山は武芸の街で、小学校から大学まで、80余の武芸学校があり、生徒数はなんと3万名を超えるそうだ。街中では武道着姿の学生が溢れていた。 私たちは学校地区を通り抜けて少林寺に参拝。 ガイドが「この寺は690年武則帝の時建造された」と説明したが、辞海に依ると紀元495年、北魏の孝文帝の時期の創建とある。 ここは禅宗と武芸の発祥地である。私は寺院の創建者の墓を記念にとカメラに収めた。
少林ダムのお陰で此処は水量が豊富で、池ではたくさんの金魚を飼育している。 ガイドが私を「この方は84歳の日本人で、ただ一人で此処に旅行に来た」と紹介したため、こんな人は珍しいと、中には一緒に記念写真を撮らせて欲しいという人がいた。私は嬉しくてすぐ同意した。 帰途20人ばかりの欧米人と共に、空手の演技を見学した。見事な演技だった。が、200元の入場料にしては内容が少な過ぎた。
私たちは電動車には乗らず、川岸に沿って暫く歩き、中国三大石窟の一つ、龍門石窟に到着した。 私は今回で中国の三大石窟を、全部見学し終わったことになった。 大小無数の石窟が川に面して並んでいる。唐代の作だと言うことだ。 最大最高のものは高さ17,1メートル,頭部4メートル、耳1,9メートルもある。 その両側には無数の四角い小穴があるが、これらは住居跡の名残だそうだ。
また左側の仏像は右側に比べ損傷が激しいが、風向きの関係とか。
川沿いの敷石舗装は、離れないようにかすがいでとめてあるが、洪水対策だろう。 また、道端に大量の水が湧き出している。ガイドが飲めると言うので飲んでみたが、味はまあまあだった。 今日は九竜ホテル308号に宿泊、このホテルにはエレベーターがなかった。 長距離電話店は、ホテルからわずか50メートルのところにあると聞き、夜其処に出かけ自宅に電話を入れた。 一歩外に出ると、無数の車が間断なく行き合い、すごく危なかった。 後でガイドから、夜一人で絶対外に出ないように、とたしなめられた。
10月8日 今日は白馬寺行き。此処は中国仏教の発祥地である。 ガイドが「河南省の別名を豫という訳は、昔此処にたくさんの象がすんでいたからだ」と教えてくれた。 路上に石造の狛犬があった。近づいて見ると、なんとごみ箱だった。 白馬寺は紀元68年、即ち千九百数十年前創建されたもので、当時摂摩騰,天竺法二名のインド僧が、多くの経典を白馬に積んで当地を訪れ、此処でそれらを漢語に訳し、仏教を広めたと伝えられている。 寺の前方に鼓楼と鐘楼が対峙し、鐘楼の音は12キロまで届くそうだ。 また此処には千五百年の歴史を持つ柏の木があり、古樹銘木と称されている。 鴻 寺では毎月一日に縁日が開かれ、多くの善男善女が参拝に訪れるとのことだ。 私らが参拝当時、此処は少林寺ほどの賑わいはなかった。
最後に中国で初めての僧の墓、二人のインド僧の大型円形墳に参拝し、その後神州牡園に乗りつけた。 此処は、「洛陽の牡丹天下に甲たり」と称され、牡丹の名所である。今は牡丹の時期ではないが、それでも何種類かの牡丹が綺麗に咲いていた。 見学後鄭州に向い、二時間で14時に帰着した。
10月9日 8時ガイドが迎えに来た。今日は開封見学の予定だ。 途中、濃霧が立ち込め、視界3メートルの時もあって、高速道路は封鎖。霧が晴れて、1時間でやっと到着した。 この街は、北京、洛陽、杭州、西安と共に古都五都と称され、宋代の首都であった所。 私たちは先ず、宋代を復元した清明上河園を訪れた。正面には当時の様子を描いたという、画家の塑像が建っている。この公園は彼の絵に基づき造成されたという。 公園内では建築物ばかりでなく、売店の店員の衣服に至るまで、悉く宋代を模倣している。
街中では各所で大道芸が催され、中には油を飲んで火を吐く者もいた。
野外劇場では京劇が上演され、また二階の窓際でも人形劇が行われ、観光客は上を仰いで観賞していた。 路上では馬車、山羊車のほか、華麗な軍服姿の騎馬隊が、色鮮やかな旗を掲げて行き来している。 一方湖上には美しい龍頭の遊船が浮かび、まるで宋の時代にタイムスリップしたようだ。
この湖は宋代にはすでに存在し、その後次第に拡大して、現在の規模になったそうで、今では庶民の遊泳場所となっている。 ガイドが「古の都は地下10メートルに埋没し」 そして「此処は砂地のため、高層建築は建てられない」とも説明してくれた。 公園を出て少し歩くと、橋の正面に龍亭が目に入る。 この龍亭公園はかって六朝皇宮の所在地で、50年前当時のままに復元したそうだ。 皇宮の中では女官に扮した娘、皇帝に扮した男の子が、なにやら準備中のようだった。
次に鉄塔公園を訪ねた。正面に花模様入りの大きな石が据えられていた。 「これは鉄塔と言うが、実は鉄でなく瑠璃レンガ造だ」とガイドが教えてくれた。 八角形の塔は十三階建て、高さ55,88メートルで,紀元1049年北宋時代に創建され、9百余年の歴史がある。 こんな軟弱な基礎に、よくもこんな高い塔を建てたものだと感心した。 当地では毎年一回、菊の展覧会が開かれるそうで、今その準備に追われていた。
10月10日 私たちは最初に金公園を散策した。 公園にはローラースケート場、卓球場、玉突き場や電気自動車等有って、多くの若者が遊んでいた。 野外演奏の傍で、杖を突いた老乞食が、お椀を差し出すが、誰も相手にしない。 午後5キロ先の黄河河畔に行く。小型の電気自動車が客を送迎していた。 また川原では30数頭の馬が、観光客の乗馬を待っているが、此処は土砂のため、どの馬も蹄鉄は打ってない。 ガイドに「ちょっと馬に乗ってみたい」と言うと、彼は不機嫌な表情をする。 「大丈夫、僕は若いころ乗馬の経験がある」と言って、久しぶりに騎乗した。
此処では、4艘のホバークラフトが用意され、1艘が目下運行中だった。 ガイドが、黄河の砂の多さを「茶碗一杯の水に半分の砂」とたとえ話をしてくれた。 次に、丘に上がって水源地を見学した。此処では黄河の泥水を浄化している。 正面に母子像が建っているが、これは「黄河は黄河文明の母なる河」に由来するもの。 私はガイドと、350段上の展望台に登り、黄河を俯瞰し下山、碑林、鉄道遺跡や洞穴の売店を見学した。
夕方、マクドナルドに、ハンバーグを買いに行った。その折店員の話が早くて、一部聞き取れない。 私は「今の言葉が分からない」 相手は「え、南の方?」
10月11日 見学は午後ということで、午前中新華書店に行くことにした。 バスに乗ったとたん、目の前の中年男性が、さっと立ち上がり、席を譲ってくれた。 申し訳ないが、遠慮せず腰を下ろした。私は彼に感謝すると共に、中国人のマナーの良さを実感した。 新華書店は案の定スケールが大きい。私は外孫にとテキスト二冊買った。 後でガイドが、よくバスで本屋に行けた、と褒めてくれた。 午後は河南博物館の見学に出かけた。広い館内は、すべて大理石で敷き詰められている。 此処では、紀元前二千数百年の物から現在までの、数多くの文化財が展示されている。 これらの文化財によって、黄河文明発展の経過が一目瞭然だ。 私にとって、最も印象深かったのは、亀の甲羅に彫られた甲骨文字だった。 風邪気味なので夕方、近くの薬店に行き、漢方薬の風邪薬を買った。
10月12日 10時、ガイドが鄭州空港まで見送ってくれた。 北京に帰ると例のポーターが出迎え、「我たちは、280元の安いホテルを用意しました」と言って、私を車に乗せた。 このホテルはあまりよくない、シャワーのみ浴槽はない。食堂も別棟なので、チャーハンを取り寄せてみた。量は多いが、味は自分で作ったより不味い。私は少し食べ、あとは捨てた。
10月13日 5時に起床、6時十数人の中国人と共に、空港行きの車に乗り込んだ。 今日の北京は寒い。多くの人がもうオーバーを着込んでいる。 出国カードでいろいろ手違いがあって、4回並び替えて、ようやく福岡行きの飛行機に乗ることができた。
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