武陵源紀行

2002年3月30日〜4月2日

 私はヘルペスの痛みに耐えながら、近畿ツーリストの武陵源旅行に参加した。
ガイドの名越さんを含め我々15名は福岡から上海の虹橋空港へ飛び立った。

月30日

  まずワイタンで海辺の景色を見学したが、今日はあいにく景色がはっきり見えない、スモッグか黄砂のせいだろう
がまことに残念だ。
次にちょっとばかり南京路をぶらついてみた。
 その後浦東国際空港に急いだが、途中のまずい夕食にはがっかりした。
定期便は一時間半ほどで張家界空港に到着。
張家界は小さい町と思っていたが、なんと人口150万の大都市と聞いて驚いた。
祥竜ホテルに着いたのはもう23時を回っていたので私は風呂にも入らずすぐに床についた。


月31日

 

 朝食はバイキングだった。土家族の居住地にさしかかると、現地ガイドが「この民族の娘が嫁に行く時、娘は泣くことになっており、泣き方が上手なほど好いお嫁さんといわれ、お金をお婆さんに渡してまで泣き方のコツを習う娘もいる」
更に、「この地方はとりわけ自然条件に恵まれ三毛作ができ、生活水準はまずまずだ」とも教えてくれた。


途中道路工事の現場にさしかかると、多くの車が立ち往生していた。
乗客の一人が作業員と口論を始めたので、状況はますます悪くなり、40分あまり待たされた。
またこれらの労働者は1日8時間働いてわずか50元だという。
やがて索渓風景区の地下鍾乳洞である黄竜洞の入り口に着いた。
この洞は規模壮大、洞内にはくまなく鍾乳石が分布、石筍が林立し、洞中に更に洞があり、旅行客に神話のような地下の世界を見せてくれる。
鍾乳石の奇観と100米にも達する石柱に、我々はすごく感動した。
だが洞内の道は狭いうえ暗く、私は滑って転ばないよう足下に注意しながら歩いた。
なお、ここは2千段もの石段があり、登り下りで私たちはかなり疲れた。
そして薄明かりのもと、暗闇の洞窟内をモーターボートで遊覧したが、まるで別世界にいるようだった。
午後は天子山に向け車を飛ばし、山裾からとケーブルカーで高さ1200米の山頂に登る。
なんと山頂にはバスが1台あって旅客を輸送している。
我々はこれに乗り、広い台地を賀竜公園、御筆峰,仙女献花、天子閣、武士訓馬と回り、絵のような美しい風景を観賞した。
これらの場所は四周に奇峰が林立し、高所から俯瞰すれば、たち並ぶ石林奇峰の群が一望のもとに見渡せ、 幾重にも重なる奇岩は何とも形容できない、まるで仙境にいるようだ。
山を下り山中の琵琶渓ホテル到着。このホテルは三星クラスだが、設備環境ともに良好なうえ、 庭には桃色の花が真っ盛りで私たちを喜ばせてくれた。
ホテルのすぐ後ろには高い岩壁がそびえ立ち、さすがは山中のホテルである。


4月1日

 



 森林公園に到着。
この公園に入るのは大変ユニークで、まず購入した入場券を設置された器具に差し込み、 同時に指紋を取って券に記憶させる。
それはこの券をもう一つの入り口で、本人以外に使用させないためらしい。
私たちはケーブルで1080メートルの黄獅娟風景区に上がった。
ここも方々に奇峰が林立し、さまざまな姿を見せてくれる。見尽くせないほどの素晴らしい景観は、天子山以上だ。
 山中の宝峰湖公園では、40分ほど遊覧船に乗った。
湖中には緑島という小島が浮かび、連山が群青色の湖水を取り囲んでいる。 コバルト色の空の下奇峰が湖面に映えた景色にはうっとりさせられる。
また湖上では小舟に娘が立ち、民歌を歌い各観光船を歓迎してくれる。


下船して更に水量豊富な宝峰の滝も観賞した。
昼食後は山麓の金鞭峡谷をせせらぎに沿って7キロほど歩いた。 
道端の景色は青森の奥入瀬川と似ているが、見上げると高い峰々が目前に迫り、その点は全く異なる。

道すがら同行の友人が私に、こんな話をしてくれた。 
「トイレに行くと、入り口にいた婦人がチリ紙を渡してくれた。見ると彼女の足下には紙箱が置いてあり、 中にはかなりの10元紙幣が投げ入れていた、私はそれを指差し、ちらっと彼女を見ると、彼女がうなずいた。
それで、10元札を取り出し箱に投げ入れトイレに入った。」
なんと一回のトイレに10元。そんなバカな!´

道端には至る所に籠担ぎ若者がたむろし、老人の私に乗ってくれとつきまとうが、私は全く相手にせずにさっさと歩きつづけた。
その日の夕方上海に飛び、上海ホテルに宿泊した。
 

 

4月2日

 豫園に着いた時あいにく雨が降り出した。
私たちは最初豫園を尋ね、次に自由市場を散策した。
私は雨に濡れながら、10元で甘栗を買って食べてみた
が、味は日本のものと変わらなかった。



昼過ぎ浦東国際空港に着いたが、定期便がたまたま故障
したため2時間ばかり遅れて飛び立ち、17時半無事福岡
空港に帰着した。

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